泣ける映画の一つとして、必ずと言っていいほどその名が上がる
「火垂るの墓」
何度か見たことはあるけれど、私は今まで泣いた事はありませんでした。
それに気づいたのは大学の頃。
酒を飲みながら下らない話をしていた中で泣ける映画は何か?と盛り上がっていました。
その時の友人たちは「火垂るの墓は泣ける」という人が多数。
逆に私は何故あれで泣けるのか?泣き所はどこ?
そんな事を思って聞きましたが、結局共感できなかったんですよね。
なので、当時は自分がなぜこの映画で泣けないのかを理解しているわけではなく、(やっぱ感受性の違いかなぁ)程度にしか考えていなかったんです。
それにアニメなので、絵柄や声優のハマり具合も自分に合う合わないとか色々ありますから。
そんな感じで、なんだか自分にはハマらなかったんだろうなと。
ただただそう思っていたんですね。
でも最近は、歳を重ねるたびに涙もろくなって来ているのを肌で感じるているわけでして。
もしかして、今の俺なら泣けるのかもしれない。
そんな目論みから、もう一度火垂るの墓を見てみました。
まぁ今回も、やはり涙は出なかったんですが、少しわかったような気がします。
なぜ自分が今まで火垂るの墓で泣けなかったのか。
その理由と思う所をまとめてみました。
ちなみに泣けない人の中には「清太がクズだから、判断が間違っているから感情移入出来ない。」といった意見の人もいます。
今回見直す前までは、たしかに私も一理あると思っていました。
でも冷静に見てみると、清太の判断には彼なりの考えがあり、境遇から納得せざるを得ない事が多々あると感じました。
自分がもしあの立場だったら、あの年だったら、そう考えると気持ちはすごく分かるんですよね。
なので、兄がダメだった的な理由ではないんです。
①死が確定しているが悲痛さがない
まず、この物語の最初はセピア色の晴太のアップから始まります。
「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」
次のシーンでは駅の柱の元に横たわり、息の絶えそうな清太が映ります。
この時点で
(あぁ、この少年は少年のまま、ここで死んでしまうんだな。)
と分かります。
そしてまた次のシーンでも同じようにセピア色の節子が現れ、この子も死んでしまったんだと理解します。
その後、セピア色の清太と節子が二人で画面の外にはけると同時にタイトルへと移っていくんですが、その様子から悲痛な感じがしないんですよね。
戦時中という事で、生きて行くには辛いことが多かったと安易に想像できます。
若い兄妹が死んでしまった。
それ自体は悲しいとは思いますが、はけていく前の穏やかな二人を見る限り、苦しさや悔しさもなく、このまま二人の人生が続いていくかのようにも見えるんです。
この先もセピア色の二人は物語の各所で登場しますが、途中、節子が泣き叫ぶ声を聴いて、清太が耳をふさぐシーンがありますよね。
あの時清太は必死で節子をなだめていましたが、死によってあの苦しかった状態から開放された清太には、とても耐えがたい思い出だった様に見えます。
死んだ清太があんな風になるという事は、既に苦悩から解き放たれて、穏やかな心情になっていたからという事でしょう。
つまり、冒頭で「この物語の最後には二人が死んでしまう」という事が分かっているので、二人の死に対して心の中で覚悟が出来るし、死んで辛さから開放された二人を見ている事で、死んでしまうこと自体に涙を誘うような悲しさを感じないんです。
②やっぱり親戚のおばさんがクズ
母親が亡くなってから、身寄りが無くなった二人は遠くの親戚の所へ転がり込みますが、ここのおばさんの意地が悪いです。
清太のおばさんへ対する態度も割と悪いので、まぁお互いさまと言えばそうなんですが、置かれた環境とそれぞれの人間性のマッチングが悪すぎました。
清太がコミュ障まではいかずとも不器用なのは、元々の性格が社交的ではないという事と、思春期+妹を守らなければならない責任感などが重なり、そうなってしまっている可能性が高いと思います。
ただ、それを考慮しても「寝床を提供してくれる人」に対しての態度という観点で見ると、違和感がありますね。
なので、考えられる可能性で言えば、清太がおばさんに対して戦争以前からいい印象を持っていなかった。
という事です。
そもそも、このおばさんの口から出る言葉は、節々に海軍関係者へのひがみようなものを感じますし、純粋な子供からすれば、父親を侮辱されているような気にもなると思います。
大人の目線で見ると清太のダメさが目に余るかもしれませんが、おばさんのクズさも相当なものです。
疎開してきた清太達に最初は水臭いと言ったり、快く受け入れてくれましたが、それ以降の態度は何なんですかね?
突然子供2人分の世話や食費が掛かるのは大変だと思いますが、それならちゃんと正直に話して、今後どうするべきかを相談し、教えるべきでしょう。
どれだけ情緒不安定なのか知りませんが、機嫌のいい時は優しさを装い、機嫌が悪くなると嫌味、皮肉を言いながら馬鹿にする。
最低です。
清太は14歳設定なので中学2年くらいなんですよ。
そんな子供が戦争に巻き込まれて、母親を亡くし、父の無事も分からず連絡がつかない状況になってしまった。
その上、妹を守らないといけない、気軽に話せる友達もいなければ、頼れる?ような存在と言えば嫌味な親戚だけなんです。
とても普通の精神状態ではいられないはずです。
映画で描かれなかった部分で、仮に清太たちがハチャメチャやっていたのなら、それも仕方がないですがね。
でも、せいぜいダラダラする、家事を手伝わないなどですよね。
まずは普通に話すのが先でしょうよ。
節子への接し方を見る限り、本来、清太は優しく、ある程度の気遣いもできるはずです。
海での回想シーンでは母親が清太を呼ぶときに「清太さん」と呼んでいるところがありますよね。
今は息子をさん付けで呼ぶなんて家庭はごく少数だと思いますが、当時は長男=跡取りとして大切に育てられていたという事なんじゃないかと思います。
通常、長男への教育の中に料理や洗濯などが含まれているとは考えづらいですが、清太は普通に料理を作れているんですよね。
それは病気持ちの母親を手伝ったり、代わりに自分で作ることがあったからだと想像できます。
そういう人間が、遠いとはいえ親戚に、しかも保護してくれる人に対して、ナチュラルにぞんざいな態度を取るとは思えないんですよね。
態度が悪いのは、どうしていいか分からない不安や混乱、兄としての責任やプライドなどがぐちゃぐちゃになって、一時的に鬱のような状態だったんではないでしょうか。
そんな状態ですから、おばさんは大人として、受け入れる立場として、生活する上で守ることや協力して欲しいことを話さないとダメだったんです。
家もある、家族もいる、配給も受けられる。
そんな圧倒的上の立場からどれだけ正当なことを言っていても、あんな言い方じゃあ(このクソばばぁ)と思うだけで何も解決しません。
みんな切羽詰まっていてそんな気遣い出来ないと言うなら、それは清太も同じなんです。
③二人にとって生きるという事はどういうことか
泣けない感想として多いのは、最終的に節子を死なせた清太がクズ→共感できない。
という事だと思います。
まぁ、今の時代で考えれば大抵の病気は治るし、戦争さえ終わればその先の人生が明るくなる可能性が高いと考えますが、本当にそうなのかと。
戦後しばらくは配給も満足な内容ではなく、苦しい生活が続いたようです。
二人そろって戦争を乗り切ったとしても、両親のいなくなった4歳と14歳で上手く生活できるのか?そこら辺に疑問が残ります。
親戚の家で配給を受けられても、清太が変わるまでは今までの扱いは変わらないと思います。
14歳の少年がそんなにすぐに成長できるかどうかは、自分がよく分かっています。
それに今のようにスマホで直ぐに情報を得られるわけでもなく、親切で模範的な人が周りにいるわけではないですから。
寝るところはあるが、常に与えられているという負い目を感じながら、生活を共にする人たちとはうまく付き合えず、妹も原爆の影響で病気になるかも知れない。
食料も十分とは言えず、そんな生活を強いられるとしたら…
今この令和の時代でも、自殺者なんかは数多くいます。
戦後の混乱の上に劣悪な環境下で生活するくらいなら、兄妹二人で何とか生活する方が幸せかもしれない。
そう思ってしまうんですよね。
どこかの時点で親戚の家に帰るという選択肢もあったと、客観的には思いますが、当事者だとしたら、そんなことは既に頭の片隅にも無いと思うんですよね。
もうあの家から出た時点で、この家は自分たちの居場所ではないと思って出てきているでしょうからね。
どんな状態でも生き残るのが正しいわけじゃなくて、“二人で生きる”というのが清太の選んだ道だと思えば、悲しさというより二人で最大限まで生きたという達成感の方がしっくリ来ます。
と、そんなわけで私は泣けなかったんだなぁとしみじみ思いました。
まぁフィクションなので、見ている側の受け取り方次第なんですが、何を犠牲にして何を得るかは、結果が出てからではないとその時の判断が正しかったかは分からないと思います。
ポスターには「4歳と14歳で、生きようと思った」って書いてあります。
これがまた考え深い。
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